四柱推命とは?当たる?
四柱推命は東洋占星術の中でも最も精度が高い!
四柱推命とは、陰陽五行説を基礎にして、「過去、現在、未来」を予測する運命学として太古の中国で生まれた占い技法です。
陰陽五行説とは、自然界や宇宙のあらゆるものについて、その特徴に応じて「木」「火」「土」「金」「水」という五行のいずれかに属していると考える古代中国の思想です。
木が燃えて火を生むように、パワーが高まるもの同士が相生関係。
水が火を消すように、パワーが弱まるもの同士を相剋関係と呼びます。
四柱推命は東洋占星術の中でも最も精度が高く的中率も信頼性も高く「占いの帝王」と呼ばれています。
四柱推命の占い方法は、生年月日、誕生時間を
「年柱」
「月柱」
「日柱」
「時柱」
という4つの柱で表した、「命式」という表をつくります。
それを元に、宿命や運勢を占います。
4つの柱が基準になっているので「四柱推命」と呼ばれているわけです。
そして、生年月日と生まれた時間をそれぞれに十干と十二支という干支の組み合わせに置き換えて、「年柱」「月柱」「日柱」「時柱」という4つの柱にします。
「干支」は60種類あり、この60種類の干支がさまざまなメッセージを私たちに示してくれます。
四柱推命は占星術ですから、どのような「星」が支配しているかで、その人の宿命や運命、運気の流れなどを推測します。
それで「四柱推命」と呼ぶわけです。
その人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を解明し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも的確に予測することができる極めて精度が高い占い方法です。
四柱推命で使われている「星」は仮想の星です。西洋占星術で使われている「星」は実際に宇宙に存在している天体であるのとは対照的です。
●四柱推命の歴史
四柱推命の起原は古く、古代中国の960年から1279年の宋の時代までさかのぼります。
除子平が著した書が四柱推命の基礎とされています。
その後、同じく宋の時代に、除大升が「淵海子平」を著しました。
また、1368年頃、明の軍師で政治家でもあった劉基が「滴天髄」という書を著したとされています。
四柱推命が日本に入ってきたのは、江戸時代中期です。
儒学者の桜田虎門が除大升の「淵海子平」を和訳して著した「推命書」によって、初めて四柱推命という占いが日本に紹介されました。
しかし、桜田虎門は四柱推命に対する専門知識がなかったとも言われているため、翻訳の質という点では疑問が残るとする評価もあります。
そのため、四柱推命を極めている占い師の中には、翻訳ではなく「淵海子平」や「滴天髄」の原文で勉強した人たちもいます。
四柱推命が日本で紹介された後、多くの人々によって研究されてきました。
四柱推命という占い技法はかなり難解な部分があり、「泰山流」「高木乗流」「武田流」「小山内流」といった流派が存在しますが、日本における四柱推命の実質的な占い技法は、明治時代以降に阿部泰山が確立したとされています。
●四柱推命鑑定の基盤が命式
四柱推命では、「命式」と呼ばれる、その人の性格や適性など運勢全体を判断する表を作成します。
生年月日、生まれた時間に、それぞれ十干と十二支の組み合わせで表した、「年柱」「月柱」「日柱」「時柱」という4つの柱である四柱として命式を作成して、鑑定の基盤とします。
西洋占星術におけるホロスコープのような位置づけのものです。
四柱推命では、「年柱」「月柱」「日柱」「時柱」という四柱に分割して、それぞれの時期における干支や星の配置から宿命や運勢、運命を推測します。それで「四柱推命」と呼ばれているわけです。
●四柱のそれぞれの意味
・年柱
生まれた年を、十干と十二支の組み合わせに置き換えたものです。年柱では主に祖先や両親から影響を受けている部分、幼年期の運勢を判断します。
・月柱
生まれた月を、十干と十二支の組み合わせに置き換えたものです。
主に、両親や兄弟あるいは姉妹から影響を受けている部分、青年期の運勢を判断します。
・日柱
生まれた日を、十干と十二支の組み合わせに置き換えたものです。主に、自分自身を表したり、配偶者に関わること、中年期の運勢を判断します。
・時柱
生まれた時刻を、十干と十二支の組み合わせに置き換えたものです。主に、子どもとの関係や子孫について、晩年期の運勢を判断します。
四柱推命では、これら4つの柱が揃っていないと正確な鑑定ができません。
しかし、自分が生まれた時間まで正確に知らない人も少なくありませんので、実際の鑑定では生まれた時間の「時柱」まで出さずに生年月日までで鑑定していることが多いです。
生年月日までわかれば宿命や運命をある程度は推測することができます。
しかし、それはあくまで妥協ですので、本来の四柱推命の威力をいかんなく発揮させるには生まれた時間まで特定すべきです。
また四柱の中には「生まれた場所」が入っていませんが、正確な鑑定をしようとする占い師ほど、生まれた場所についても聞いてきます。
生まれた場所によって緯度や緯度が違ってくるからです。
生まれた場所というのは、その時に両親が住んでいた場所ではなく、実際に生まれた瞬間にいた場所のことです。
昔は自宅で出産することが多かったですから、自分が生まれた場所と両親が住んでいた場所が一致していたことが多かったですが、近年はほとんどが病院で出産するようになりましたので、占い師に「生まれた場所」を聞かれた時は生まれた病院の場所ということになります。
その場合、正確な住所までわからなくても、市町村ぐらいまで特定できれば十分です。
東京23区で言えば、どこの区であったかがわかればいいわけです。
●干支とは
四柱推命では、生年月日、生まれた時間を十干と十二支の干支の組み合わせに置き換えます。
干支とは、10種類ある十干と12種類ある十二支の組み合わせです。
十干とは、「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸」の総称です。
十干は古代中国、殷の時代から日の順序を示す記号として使われており、1ヵ月を10日毎の上中下の三旬に分け、1日目から順に甲、乙、丙~と数えられたのが始まりだと言われています。
十二支とは、「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」の総称です。
十二支がいつ頃できたのか定かではありませんが、当初は12ヵ月の順序を示す記号として使われていたと言われています。
それよりも前には、木星や月の周期を表す記号であったと言われていますが、それを覚えやすくするために動物の名前で表すようになりました。
十二支は、月だけでなく、年や日、時間、それに加えて方位にも割り当てられています。
●四柱推命における天中殺
天中殺とは、日柱の干支から割り出される12年に1度必ず訪れるとされる不運の2年間のことです。
空亡とも呼ばれています。
年柱の干支から割り出される空亡も天中殺の一種ですが、あくまでも日柱から出した空亡こそが天中殺であり、年柱の干支から割り出される空亡については参考程度に考えていいでしょう。
この天中殺の2年間の期間は、災いやトラブルに見舞われやすく、結婚や転職、引っ越しなど何か新しいことにチャレンジすると、良い結果がにならないとされています。
また、この天中殺の前年にあたる年も、天中殺ほどではないにしろ、同様な意味があると言われています。
天中殺は確かに不運な時期を表しますが、その期間を避けて行動を起こすことによって、運勢の低下を避けることができるとされています。
この時期をどう過ごすかによってその後の人生に幸運をもたらすことが可能になるでしょう。
これが四柱推命における「天中殺」の一般的な考え方ですが、四柱推命の書である「淵海子平」や「滴天髄」の原文には「天中殺」や「空亡」の概念が書かれていないことから、流派によっては、「天中殺」も「空亡」も存在しないとする説も有力です。
●四柱推命はどのぐらい当たるのか
四柱推命は、以上のように、生年月日、生まれた時間を十干と十二支の干支の組み合わせに置き換えて、命式を作成して、過去、現在、未来を推測する占い技法ですが、かなり難解です。
難解ゆえにこの占い技法を駆使できる占い師は、占い師が増えている現在でも決して多くありません。
しかし、四柱推命をしっかりと使いこなせる占い師であれば、かなりの的中率を誇ります。
そういう占い師であれば、四柱推命に併せて、易や易タロットにも精通していることが多いですから、四柱推命で人生の大きな流れを鑑定してもらうとともに、易などでピンポイントに鑑定してもらうといいでしょう。